「明けない夜はない」──絶望の先に見えた光の話

「もうダメかもしれない」

そう思ったことはありませんか?

人生には、どうにもならないほど苦しくて、先が見えない暗闇に包まれるような時期があるものです。絶望という言葉が、これほどまでにしっくりくるのかと思うほどの夜。抜け出したくてもがけばもがくほど、深みにはまってしまう感覚。私自身も何度もそんな夜を経験してきました。

でも、今こうして言えることがあります。

「明けない夜はない」ということです。

人はつらい状況に直面すると、つい「なんとかしよう」と思ってしまいます。前向きに考えよう、ポジティブでいよう、自分を奮い立たせよう…と。でも、心も体も限界のときに、それすらできない自分に気づいて、さらに落ち込むこともあるでしょう。

私もそうでした。何度も絶望の淵に立ちました。そして、わかりました。

一番つらいとき、人は何もコントロールできないのだと。

そこで私は、こう考えるようになったのです。

「だったら、流れに身を任せてみよう」と。

人生の激流の中にいるとき、無理に抗おうとすると、かえって溺れてしまうことがあります。だったら、もういっそ、流れに身をゆだねてみる。もちろん、どこに流れ着くかわかりません。でも、「きっとどこかにたどり着くはず」と信じてみるのです。

目の前が見えないなら、心の中に小さな灯をともしておくといいかもしれません。

「こうなりたいな」「こんなふうに生きたい」

それを心のどこかにそっと置いておけば、それが自然と人生の舵となってくれます。

それでもなお、つらさは消えません。苦しみの渦の中では、「一刻も早く抜け出したい」と願ってしまうのが自然です。でも、無理に「今を乗り越えよう」とするよりも、「今を味わってみよう」としてみるのも一つの方法です。

味わいきれないなら、心を逃がしてもいいんです。昔の楽しかった記憶にひたるのもいい。将来の理想を思い描くのもいい。とにかく、心が少しでも楽になる方向へ向けてあげてください。

ゆっくり休んでもいいし、好きなことに没頭してもいい。リラックスできる場所に行くのもいい。あなたが「ほっ」とできる時間を、自分に許してあげてください。

どんなに激しい嵐も、やがて過ぎ去ります。

そして、苦しみの先には、新しい景色が広がっています。

私自身、引きこもり、うつ病、離婚、大切な家族との別れ、親の入院、自分の体調不良…いくつもの南極を経験してきました。当時は本当に、「いつこの夜が明けるのか」と思っていました。

でも、そのすべてが、今の自分にとっての「大切な経験」になっています。

傷ついた心も、時が癒してくれます。

苦しかった出来事も、時間の中で発酵して、まるで熟成されたワインのように、人生に深みを加えてくれます。あのときの夜があったからこそ、今の朝がより美しく感じられる。そんなふうに思える日が、きっと訪れるのです。

いま、この文章を通して、私の経験を誰かと共有することで、もしかしたらあなたの心が少しでも軽くなるかもしれません。もしそうだとしたら、私が経験した数々の暗闇も、ようやく報われる気がします。

ですから、たとえ今は意味が見えなくても、あなたが今向き合っている苦しみは、きっと後になって、かけがえのない宝物になります。

明けない夜はありません。

希望の光は、必ず差し込んできます。

どうかその時まで、自分を責めず、ゆっくり、あなたのペースで歩んでください。

もし歩けないなら、ただ流れに身を任せるのも立派な選択です。

あなたの人生に、穏やかな朝が訪れますように。