「楽しさ」は自分の中にある──誰かと比べない、主観的な豊かさを育てるヒント

楽しさは誰かと比べなくてい

こんにちは、豊かな人生です。

今日は「楽しみを見つけよう」というテーマでお話ししていきたいと思います。

皆さんは今、人生を楽しんでいますか?

この問いに対する答えは、結局のところ“主観”がすべてだと私は思っています。誰かと比べて「楽しいかどうか」を判断するのではなく、自分の感覚を大切にすること。それが本当に大事なことではないでしょうか。

比較には終わりがない

たとえば「年収1,000万円ほしい」と思って頑張って働いた結果、実際に1,000万円を稼げるようになったとします。でも、その瞬間は満足できても、ふと周りを見ると年収2,000万円、3,000万円の人が目に入り、また新しい目標が出てくる…。そんなふうに、比較にはキリがないのです。

そしてその比較が、自分の満足感や幸せを削ってしまうことさえある。実際に高収入の人が必ずしも幸せそうに見えるかというと、そうとは限りません。私の周りにもお金をたくさん持っている方はいらっしゃいますが、だからといって全員が幸せそうかというと、そうでもないんですよね。

逆に、特別にお金持ちでなくても、とても穏やかで楽しそうに過ごしている方もたくさんいます。

主観的な豊かさとは何か?

つまり、「豊かさ」とは主観的なものであり、自分がどう感じるかが大事なのです。

私が最近よく意識しているのが、この“主観的な豊かさ”という考え方です。自分が「いいな」と思える瞬間や、「満たされてる」と感じる時間を、自分で見つけていくこと。それこそが、本当に大切なのではないかと思っています。

母の手術と、寄り添う時間

今日は本当は仕事がある予定でしたが、休みを取りました。母の手術が予定されていたのですが、体調の関係で延期になってしまったため、急遽オフになったんです。

そこで私は、母のお見舞いに行って、できるだけ不安が和らぐように寄り添ってきました。これもまた、私にとっての“主観的な豊かさ”のひとつです。母が「ありがとう」と言ってくれましたが、本当に安心できたかどうか、気持ちの深い部分までは私にはわかりません。

ただ、私は「自分にできることをした」と思えた。それが大切なんだと感じています。

明日は施設の見学へ

そして明日もお休みを取っています。母の手術後の入院生活に備え、退院後に入居する施設の見学に行く予定です。いくつか候補を絞って、実際に足を運んでみようと準備を進めています。

こうした行動も、私の心に「安心」や「納得感」をもたらしてくれている気がします。見返りを求めているわけではなく、ただ自然と「やってあげたい」と思うからやっている。そういう感覚です。

ラーメンが教えてくれた満足

一段落ついたあと、お腹が空いたのでラーメン屋さんへ行きました。味噌ラーメン、餃子、そしてミニチャーハン。とても美味しくて、気持ちが少し和らぎました。

私はグルメではないので、高級でなければ満足できないということはありません。ただ、自分が「おいしい」と思えるかどうか。それが大切なんです。

仮にそのラーメン屋さんの評価がネットで3.0だったとしても、自分にとって満たされる味であれば、それで十分。

他人の評価ではなく、自分の感覚を信じる。それが私の中での「豊かさ」なのです。

お金と豊かさの本当の関係

お金は、あるに越したことはありません。でも、それが全てではないとも思っています。

たとえば、お腹いっぱいご飯を食べられる程度のお金があれば、それだけで幸せ。そんなふうに感じられたら、それはもう十分に豊かなことだと私は思います。

『美味しんぼ』のとんかつ屋さんの言葉

漫画『美味しんぼ』の中に「とんかつ慕情」というエピソードがあります。あるとんかつ屋の主人が、

「そんなに偉くも金持ちにもならなくていい。腹いっぱいとんかつが食べられれば、それでいい」

と語る場面があるのですが、私はそれを読んで「まさにその通りだな」と深く共感しました。

小さな選択を、自分の意志で

食べたいものを食べられる。会いたい人に会える。休みたいときに休める。

そういう日常の小さな選択を、自分の意志でできること。それが、私にとっての“主観的な豊かさ”です。

あなたにとっての楽しみは何ですか?

人によって豊かさの形は違います。でも、自分にとっての楽しみや幸せを見つけられること

それが人生を充実させてくれるのではないかと、私は思います。

どうか皆さんも、日常の中にある小さな「豊かさ」を大切にして、今日も素敵な一日をお過ごしください。

それではまた、お会いしましょう。ありがとうございました。