「感じすぎる」は才能かもしれない:繊細さとの向き合い方

〜HSP気質のしんどさと、それでも見つかる豊かさ〜

こんにちは。豊かな人生です。

今日は2025年6月20日、金曜日の午前11時30分。今はちょっと曇り空で、どこか穏やかで静かな空気が流れています。

そんな空模様とも重なるような、今日は少し繊細なテーマをお届けしようと思います。

タイトルは、「繊細敏感な人の対処法およびメリット」。

つまり、自分の感受性の強さにちょっと疲れてしまったり、傷つきやすさを抱えながら生きている――

そんな方に向けて、今日はゆっくりと語ってみたいと思います。

「繊細であること」を変えようとして、苦しかった日々

まず最初にお伝えしたいのは、私自身がとても繊細で、敏感で、人の感情にとても左右されやすいタイプだということです。

これはもう、どうしようもないほどです。

誰かの小さなため息、ちょっとした表情の変化――それだけで「あれ?なにか不機嫌だったかな?」「自分のせいかもしれない」と反応してしまうんです。

「そんなに気にしなくていいよ」「もっと楽にいこうよ」

――そんな言葉を何度言われても、それで性格が変わるわけじゃない。

私は、自分の繊細さをどうにかして“なおそう”“普通になろう”として、何度も努力してきました。

でも、やっぱりできなかったんです。

だってこれは「性格」であり、「性質」だったんですから。

幼いころからの“気にしすぎる自分”

私がこうなった理由――それは、おそらく幼い頃からの環境と教育にあると思っています。

両親は教師でした。母は特に礼儀や対人マナーに厳しく、「元気に挨拶しなさい」「笑顔でいなさい」とよく言われて育ちました。

母自身も、呉服屋という人と接する商売をしていた祖父のもとで育ち、

「きちんとしていないなら、人に会うな」

「できないなら迷惑をかけるな」

そんな厳しい価値観を、言葉と空気で、じわじわと受け継いできたのだと思います。

そんな中で育った私は、「人にどう見られているか」を常に意識して生きてきました。

そしてその延長線上に、今の“気にしすぎる自分”があります。

「気にしすぎる」は、仕事では強みになることもある

でも、この性質――生きる上ではしんどいけれど、実は役に立つこともあるんです。

私は現在、学習塾のアドバイザーとして20年以上、生徒や保護者と接する仕事をしています。

そこで日々感じるのが、「あ、この感受性って、仕事ではとても活きているな」ということ。

たとえば生徒が教室に入ってくると、表情や雰囲気から「今日は何かあったな」とすぐに気づける。

でもあえて口に出さず、そっと様子を見守る。

すると、その生徒の方から「先生、ちょっと聞いてください…」と話しかけてくれることがあるんです。

生徒の「表情」「間」、「雰囲気」の変化に気づく力・・・

それは、繊細であるがゆえに育ってきた感覚なんだと思います。

ネガティブの渦に巻き込まれる怖さ

とはいえ、メリットばかりではありません。

むしろ、繊細さがゆえに苦しむ場面も数えきれないほどありました。

一番の問題は、やっぱり「ネガティブな感情」に引っ張られやすいこと。

人の怒り、悲しみ、不安――そういった感情にすぐに共鳴してしまうんです。

しかも厄介なのは、そこから勝手にストーリーを広げてしまうこと。

「あの人、本当は私のこと怒ってるんじゃないか」

「さっきのあの言い方、もしかして嫌われてる?」

「どうして私、また同じことを…」

――そんな妄想が膨らんで、苦しくなって、動けなくなってしまう。

天気は晴れていても、相手が本当は気にしていなくても、自分の心の中はずっと曇り。

これは本当にしんどいですね。

逃げたり戦うというより「味わう」ことの大切さ

でも、最近は少しだけ変わってきました。

今の私は、ネガティブな感情を無理に追い払うのではなく、「あ、来たな」「今はその時間だな」と、味わうようにしています。

無理にポジティブになろうとしない。

ネガティブを排除しようとすればするほど、逆に深く沈んでしまう。

だから、「味わう」んです。

スイカに塩をかけると甘みが引き立つように、

苦みがあるからこそ、甘さがいっそう感じられる。

私たちの人生もきっと同じ。

苦しい感情があるからこそ、穏やかな幸せがよりいっそう豊かに感じられるのだと思います。


「動けないとき」は、体から動かしてみる

ただ、それでもどうしようもなく落ち込んでしまうとき。

何もやる気が起きないときも、もちろんあります。

そんなとき私がやっていること――それは「体を先に動かすこと」です。

たとえばジムに行って体を動かす。

外に出る、散歩をする。

あるいは、窓を開ける、靴を磨く、お茶を飲む。

ほんのちょっとだけでいいんです。

心を変えるのは難しくても、体ならちょっとだけ動かせる。

その「ちょっとした動き」が、やがて心をじわじわと動かしはじめてくれることもあります。

習慣が、心のしなやかさを作ってくれる

私は今年の1月からジムに通いはじめました。

最初は「行くだけでOK」。運動なんてできなくて当たり前。

でも、それを続けていたら、いつの間にか30分、1時間と動けるようになっていました。

毎日ピアノを弾く習慣も同じ。

最初は「触るだけ」「1音鳴らすだけ」だったけれど、今では自分の気持ちを音に乗せられるくらいになってきました。

変化は一気にやってくるものじゃない。

でも、繊細な人こそ、少しずつの積み重ねが、心のしなやかさを育ててくれるように思います。

そして、繊細な人こそ、少しずつの積み重ねでも、確実な変化を感じられるはずです。

まとめ:繊細さは、あなたの「豊かさ」そのものかもしれない

繊細で、敏感で、生きづらさを感じてしまう日もある。

でも、それはきっと「豊かに感じられる心」を持っている証なんだと思います。

辛さも、悲しさも、妬みも、怒りも――

それを感じ取れるあなたは、喜びも、感動も、人一倍味わえる人。

だから、繊細さは、欠点ではなく「豊かさの源」なのだと思います。

たとえ曇り空の感情であっても、静かで優しい気持ちで、

どうか自分の感受性を否定せず、そっと大切にしてあげてくださいね。

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